シンガポールの競馬終了はなぜ起きた?日本も他人事ではない理由とは

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日本に身近な競馬場だったシンガポール競馬場が
2024年秋に閉鎖されることとなりました。

一体なぜこのようなことになってしまったのでしょうか。

今回はそんなシンガポールの競馬事情について見ていこうと思います。

アジアでも有数の競馬大国だったシンガポール

アジアでも有数の競馬大国シンガポール

実はシンガポールの競馬は、日本よりも長い歴史があります。

今から約180年前の1842年、シンガポールスポーティングクラブが設立され、
翌年の1843年からポニーを用いての近代競馬が開催されました。

日本における近代競馬は1862年ですから、そこから遡ること約20年前には
シンガポールで競馬が行われていたこととなります。

そして1924年にはシンガポールを代表するレースであるシンガポールゴールドカップが開催されます。

そこから第二次世界大戦による中止などもありながら競馬は続いていきます。

1999年にはシンガポール政府から競馬場からの立ち退き命令を受けましたが
現在のクランジ競馬場へと場所を移し競馬開催を継続しています。

そして2000年には日本でもお馴染みの、シンガポール航空インターナショナルカップが開催されます。

また翌年にはクリスフライヤースプリントが開催され、この2つの競走が後に国際G1として
世界的にも有名になります。

しかしその後2015年にはこの2つのレースが廃止され、
そしてついに2024年10月5日に、競馬開催を終了することが決まりました。

180年も続いた競馬は、一体なぜ終了してしまうこととなってしまったのでしょうか。

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シンガポール競馬が終了する理由

カジノの売上が絶好調

終了する理由はいくつか挙げられますが、
その1つはカジノが盛り上がっていることです。

シンガポールでは2005年にカジノが合法化され、
2010年にはセントーサ島に複合レジャー施設と共にオープンしています。

また、3つのビルの上に船が乗っている姿で有名なマリーナベイ・サンズにもカジノができ、
これらが非常に大きな盛り上がりを見せています。

そしてこのカジノによりギャンブル人気が奪われてしまったというのが
競馬界にとっては悲運でした。

特にマリーナベイ・サンズでの売上は圧倒的で、
2015年にはシンガポールのGDPを0.8%引き上げており
現在ではカジノ単体で約6000億円もの売上を生み出し、GDPの1%ほどの規模となっています。

このような状況により、競馬の売上は年々減少していきます。

更にコロナにより入場者数は3分の1ほどに激減してしまいます。

それでもシンガポール競馬はその状況を打開しようと
これまで現地や場外馬券場でしか売っていなかった馬券について
電話やインターネットで購入できるようにした他、
マレーシア、香港、オーストラリア、韓国の競馬と連携をして
相互で馬券を買えるようにしました。

また、レースが開催されていない日にはコースや場内のレストランを活用して
結婚式を開催できるようにするなど、売上をアップさせるための努力はしてきました。

しかしそれでも売上は全盛期までには戻りませんでした。

こうしたカジノ人気による売上低迷というのが1つの大きな理由として挙げられます。

また、もう1つの理由として挙げられるのは
シンガポールの土地の狭さです。

シンガポールは土地が狭い

シンガポールは728.6km²で、日本の500分の1以下しかありません。

東京23区より少し大きいくらいと考えれば、
シンガポールの面積はある程度想像がつくかもしれません。

そのような狭い土地ですが、人口は545万人と日本の23分の1ほどとなっています。

つまり人口密度は日本の20倍以上で、これは世界一と言われています。

そうした狭い土地だからこそ、競馬場のような広大な敷地は必要なのかという議論が以前からされてきました。

特にカジノで国民のギャンブル欲は満たされており、収益も順調に上がっている近年
競馬場を閉鎖してその土地を他に有効活用した方がいいのではという声が強まっていたのです。

そうした声に押されてシンガポール政府は2027年までに
シンガポールのクランジ競馬場の土地を返還するようシンガポールターフクラブへと求めました。

これにより、2024年10月5日の競馬開催を最後に競馬を終了することとなったのです。

競馬を統括するシンガポールターフクラブは声明で
「クランジ競馬場の敷地がシンガポールの人々のニーズを満たす資源だと理解している」と語っており
まだ再開発の内容は未定ですが、住宅やビルなどに変わることとなっていきそうです。

とはいえ競馬場の閉鎖というのは多くの影響が出てきます。

特にそこに所属する競走馬や、調教師、厩務員、騎手などの今後が心配されます。

日本の例で言えば、中津競馬場が閉鎖された時
300頭近くいた所属の馬は200頭ほどが処分されてしまったと言われています。

この時も突然の閉鎖発表だったため、受け入れ先を見つけるのが困難だったという事情があります。

シンガポール競馬に関しても、閉鎖の発表は調教師などに事前に連絡をしていなかったという報道もあり、
後1年でどのようにしていくのか、今から急いで決めていかなくてはなりません。

中津競馬場のような悲劇が起こらないよう
閉鎖を決定したシンガポール政府も協力して、受け入れ先を決めてほしいところですね。

近隣の競馬をしている国としては、隣のマレーシアや少し離れますが香港などがあります。

日本とはレベルの差があると考えられるため、受け入れることは少し難しく
これらの国が引き受けてくれることを願います。

いずれにせよこのような突然の決定には競馬関係者から困惑する声もあがっており、
そこには日本人も関わってくる話があります。

シンガポールで開業したばかりの厩舎も

シンガポールで厩舎を開業

シンガポールで厩舎を開業していた調教師といえば
高岡秀行師が有名です。

高岡秀行調教師は、元々ホッカイドウ競馬で騎手、そして調教師を経験した人物で
2000年には年間54勝をあげてリーディングトレーナーになった実績があります。

そんな高岡師は2002年に3人の日本人スタッフとともにシンガポールへと移籍し開業します。

開業後は、シンガポールゴールドカップをエルドラドで制するなどの活躍を見せました。

また、シンガポール競馬での共有馬主クラブ「スターレーシング」と連携して
日本産の馬をシンガポールに連れてきて高岡厩舎で走らせるといった取り組みもしていました。

こうして数々の勝利をあげた高岡調教師でしたが、
年齢もあり2023年3月に引退することを発表しています。

そしてその後継として厩舎を新たに開業する予定だったのが
波多野了平氏です。

波多野氏は川崎競馬で厩務員をされていた方で、
念願のシンガポールでの厩舎開業でした。

シンガポールの現地報道を読むと、今年5月15日の記事に
高岡調教師のインタビューが記載されており、
そこには高岡厩舎の馬をすべて波多野氏に引き継ぐため、
厩舎の開設を要請されたのでその申請を済ませたと書かれていました。

今回の競馬終了については政府や上層部が独断で決定し
調教師や馬主には事前に知らされることがなかったと言われています。

そのことがこうした記事からも伝わってきますね。

彼らにとってはまさに寝耳に水だったはずで、今後が心配です。

また今回のシンガポールの競馬終了は、日本の競馬にも影響があるかもしれません。

なぜなら日本も近年カジノを開設する動きが強まっているからです。

日本も他人事ではない?

もしカジノが開設されて、そちらの収益が大きくなり税収も潤うのであれば
競馬の縮小へ踏み切る可能性も0ではないからです。

日本は競馬の売上がJRAだけでも3兆円を超えており規模が大きいため、
そうなる可能性は高くありませんが、
それでもシンガポールの動きを見ると他人事ではない気がしてきます。

日本馬で言えばコスモバルクやシャドウゲイトなどがシンガポールでG1を勝利し、
騎手の藤井勘一郎ジョッキーはシンガポールで初重賞制覇をあげています。

そんな日本とも縁のあるシンガポール競馬が終了してしまうというのは非常に残念ですね。

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