トニービンのサイアーラインが絶滅寸前!ジャングルポケットやエアグルーヴの父でサンデーサイレンス・ブライアンズタイムと並ぶ活躍も…

トニービン後継種牡馬が絶滅寸前

トニービンの血統が絶滅寸前!?サイアーラインの今

1990年代、日本には御三家と呼ばれる種牡馬たちがいました。

それがサンデーサイレンスブライアンズタイム、そしてトニービンの3頭です。

その中でもトニービンは1994年にリーディングサイアーを獲得し、
エアグルーヴやジャングルポケットなどの名馬を次々に輩出してきました。

しかし実は、このトニービンからつながるサイアーライン、
つまり種牡馬としての系統は現在ほぼ絶滅してしまっています。

今回はそんなトニービンの種牡馬としての功績と、絶滅寸前のサイアーラインについて見ていきたいと思います。

トニービンが日本にやってくるまで

トニービンは1983年にアイルランドで生まれました。

父カンパラ、母セバンブリッジという血統で、セリ市では日本円にして約65万円という安値で購入されます。

そして現役時には6歳で凱旋門賞を勝ち、現役最後にはジャパンカップを走り5着となっています。

生涯成績は27戦15勝で、引退後は社台グループが購入し日本で種牡馬入りすることとなりました。

この時の購入金額は約5億円と言われています。

65万円の馬が凱旋門賞を勝ち、5億円で種牡馬として買われるという大逆転劇を起こした馬でもありました。

種牡馬として大活躍するトニービン

トニービンは1989年シーズンから日本で種牡馬入りをすると、初年度から57頭に種付けをします。

そしてそこで産まれた馬たちの中から多くの活躍馬を輩出します。

特に牝馬2冠を制したベガ、そして日本ダービーを制したウイニングチケットが出ており
初年度から牡馬・牝馬両方のクラシックを制覇し話題となりました。

他にも安田記念やマイルチャンピオンシップを勝利したノースフライトや、
天皇賞(秋)を勝利したサクラチトセオーと、G1馬を4頭輩出したのです。

種付け頭数57頭、生産頭数45頭という中から4頭のG1馬が出るというのは、まさに驚異的です。

こうなると生産者たちもトニービンを放っておきません。

初年度がクラシックで活躍する1993年には111頭と種付けをし、
1996年には最高となる159頭と種付けするようになりました。

初年度産駒が4歳となる1994年には日本リーディングサイアーを獲得しており、絶頂期を迎えます。

2年目の産駒からも天皇賞(秋)を勝利したオフサイドトラップが生まれ、
4年目には、オークスや天皇賞(秋)などを勝利したエアグルーヴが生まれます。

ただ、同時期に強力なライバルも現れます。

それがサンデーサイレンスとブライアンズタイムでした。

サンデーサイレンスはトニービンより2年後の1991年に種牡馬入りをすると、
初年度からフジキセキやジェニュイン、タヤスツヨシ、ダンスパートナーなどといった名馬を次々と出していきます。

またブライアンズタイムも1990年から種牡馬入りをして、
初年度から三冠馬であるナリタブライアンや、オークス馬チョウカイキャロルなどを輩出します。

いずれも初年度からクラシックを勝利する馬を出しており、
まさに三つ巴という状況でした。

しかし、その中でもサンデーサイレンスはあまりにも規格外の馬でした。

おそらく時代が異なればトニービンは長年に渡ってリーディングサイアーとなれたことでしょう。

けれど結局トニービンのリーディングサイアーとしての実績は1994年のみとなってしまいました。

特に1998年から2001年までは4年連続でサンデーサイレンスに次ぐ2位となっており、
いかにサンデーサイレンスが強力すぎるライバルだったかが分かります。

それでもこれまでご紹介したように多くの名馬を輩出しており、
他にもレディパステルやジャングルポケット、テレグノシスといったG1馬を出しました。

種付け料も公開されている1999年には1000万円に設定されており、
種牡馬全体で見ると非常に高い評価を受けていました。

特に、トニービン産駒は東京競馬場に強いと評判でした。

数字で見るトニービン産駒

実際に数字で見ると、特に芝のレースでは東京競馬場に良績が集まっていることが分かります。

主要競馬場で比べてみると、
関西の阪神競馬場で83勝、京都競馬場で89勝、
そして関東の中山競馬場で95勝をあげています。

そうした中、東京競馬場ではなんと156勝をあげており
このことから、いかにトニービン産駒が東京競馬場で強かったかが分かります。

他にも産駒のG1勝利は全部で13勝ありましたが、その内の11勝は東京競馬場で開催されたものでした。

こうした特徴を持つトニービンでしたが、2000年の種付けシーズンに心臓麻痺により亡くなってしまいます。
17歳という若さでした。

通算の勝ち上がり率は51.2%と半分以上の馬が勝ち上がっていることからも
大物だけでなく、コンスタントに活躍する馬も多く出した種牡馬でした。

しかし、そんなトニービンのサイアーラインは現在途絶えかけています。

トニービン産駒の種牡馬が苦戦している

トニービンが亡くなってしまったことで期待されたのが、その血を継ぐ馬たちでした。

まずは初年度産駒として大活躍をしたウイニングチケットとサクラチトセオーです。

ウイニングチケットは現役時代に日本ダービーを勝利していたこともあり、
初年度となる1995年には78頭と交配をしました。

そして初年度産駒がデビューを迎える3年目の1997年には95頭、
4年目の1998年には117頭と増加しており、かなり産駒への期待が高かったことが分かります。

しかし結局ウイニングチケット産駒の中で中央競馬の重賞を制覇したのは牝馬のベルグチケットだけでした。

2005年の5頭を最後に種牡馬としても引退しており、
ウイニングチケットからのサイアーラインは既に途絶えてしまっています。

ただ、牝系の中には入っており、
2021年に大阪杯を制したレイパパレの母母父にウイニングチケットが入っています。

次に天皇賞(秋)を制して種牡馬入りをしたサクラチトセオーについて見ていきましょう。

続いてサクラチトセオーについてです。

1996年に種牡馬入りをすると、初年度から83頭に種付けをします。

そして2年目には111頭と種付けをしており、ウイニングチケットよりも人気が高い種牡馬でした。

初年度産駒のラガーレグルスはG3ラジオたんぱ杯3歳ステークスを勝利しており、
確かな実力を持ちながらも皐月賞ではゲートで立ち上がり競走中止となるといった個性派の馬でした。

その後ラガーレグルスは種牡馬入りをしてサイアーラインをつなげますが、
3年間の供用で産駒は11頭のみとなり、そこからさらに血がつながることはありませんでした。

他には産駒で種牡馬入りをした馬もおらず、サクラチトセオーのラインもここで途絶えます。

次に種牡馬入りをしたのは、エアダブリンです。

現役時代は青葉賞など重賞3勝を挙げて、1998年シーズンから種牡馬入りしました。

初年度はなんと194頭と種付けをしており、当時サンデーサイレンスが持っていた種付け頭数記録を塗り替えています。

これは当時種付け価格が高騰していたトニービンの代替種牡馬としての価値や、
ダンスインザダーク、ダンスパートナーなどの兄弟ということが理由だと考えられます。

種付け料も50万円と安価だったことも人気の要因でした。

こうして一躍人気種牡馬となったエアダブリンでしたが、
産駒からは全くと言って良いほど活躍馬が出ませんでした。

リーディングサイアーも最高が102位と、種付け頭数を考えると非常に厳しいものとなりました。

そのため2002年には種付け頭数が16頭と激減し、
翌年の2003年からは韓国で種牡馬生活を送ることとなりました。

次にオフサイドトラップを見てみましょう。

オフサイドトラップはサイレンススズカが故障により亡くなってしまった時の天皇賞(秋)を制した名馬です。

1999年シーズンに種牡馬入りをすると65頭と種付けをします。

しかしほとんど結果を残すことができず、中央競馬で勝利した馬は全体を通してわずか2頭のみでした。

この結果から2003年に5頭と種付けをし引退しています。

こうしてどの馬も厳しい結果となっていますが、
もしかしたらと思わせてくれたのが、ミスズシャルダンでした。

現役時代に小倉大賞典を制したミスズシャルダンも、引退後種牡馬になりました。

ただ、初年度の2001年には10頭、2年目の2002年には2頭のみの種付けとなり
この2年で種牡馬としては引退しています。

それでもこの中から小倉記念を制覇したサンレイジャスパーが出ており、
もしエアダブリン並の人気があれば、後継種牡馬を残せていたかもしれません。

そして最後にトニービン産駒で種牡馬入りをしたのはテレグノシスです。

現役時代はNHKマイルカップを制した名馬で、初年度は46頭と種付けをしています。

種牡馬としては重賞を3勝したマイネイサベルを輩出しましたが、
それ以外に目立った活躍馬は出ませんでした。

2012年シーズンを最後に種牡馬を引退しており、こちらも後継種牡馬は出ていません。

他にも4年間で11頭のみと種付けをしたナリタセンチュリーや、
2003年の1シーズンのみで引退したマックロウ、
重賞未勝利ながら種牡馬入りしたケントニーオーなどもいましたが、結果を残すことはできませんでした。

このように厳しい結果となっていたトニービン産駒の種牡馬でしたが、
そうした中で、G1馬を生み出すような後継種牡馬も2頭いました。

希望をわずかに残す2頭のトニービン産駒種牡馬

まず1頭目はミラクルアドマイヤです。

現役時代は3戦して1勝のみという成績でしたが
日本ダービー馬フサイチコンコルドの弟であることから種牡馬入りしました。

初年度の2000年には39頭と種付けをしており、未勝利を勝っただけの馬としてはそこそこの人気を集めます。

しかし3年目には9頭、4年目にはわずか1頭との種付けにまで落ち込みます。

それでも初年度産駒の中から、カンパニーが大活躍します。

7歳で天皇賞(秋)を勝利し、G1馬となったのです。

このことからミラクルアドマイヤの評価は一気に高まり、
5年目となる2004年には170頭と種付けをします。

ただ、そこからは活躍馬はほとんど出てこず2008年シーズンを持って種牡馬を引退しています。

唯一後継種牡馬として残ったカンパニーも、初年度には139頭を集める人気でしたが
2013年産のウインテンダネスが目黒記念を勝ったのみで、他に中央競馬の重賞を勝利する馬は現れませんでした。

このウインテンダネスは現役引退後に種牡馬入りを模索しますが、
需要などの面から最終的には青森県で乗馬となりました。

そしてカンパニーは2018年に腎不全で亡くなっているため、このミラクルアドマイヤのサイアーラインも現在は途絶えています。

となると唯一の希望となってくるのが、ジャングルポケットです。

ジャングルポケットは現役時代に日本ダービーやジャパンカップなどを制した名馬です。

種牡馬として、サンデーサイレンス系の牝馬と種付けをできることから人気を博します。

初年度に111頭と種付けをし、5年目には歴代3位となる231頭との交配をするほどでした。

子どもたちも、初年度産駒のフサイチホウオーが無敗で重賞を3連勝し、
全妹のトールポピーはオークスを制します。

さらに2年目の産駒となるオウケンブルースリが菊花賞を制すなど、
スタートから上々の活躍を見せます。

その後2020年に種牡馬を引退し、2021年に亡くなってしまいますが
後継種牡馬としては3頭を残しました。

それがフサイチホウオー、オウケンブルースリ、トーセンジョーダンの3頭です。

それではこの3頭の種牡馬生活はどうなったのでしょうか。

まず初年度産駒として活躍したフサイチホウオーです。

彼はもともと引退後は乗馬となる予定でしたが、
全妹がオークスを勝つなどの活躍をしたことから急遽アロースタッドで種牡馬入りをします。

ただ、初年度の種付け頭数が24頭と厳しい立ち上がりとなり
4年目には7頭に落ち込んだことで種牡馬を引退します。

活躍馬も残すことができず、引退後はノーザンファームのリードホースとなっています。

次に菊花賞を制したオウケンブルースリについてです。

オウケンブルースリも引退後はイーストスタッドで種牡馬入りしますが、
初年度は23頭しか集まりませんでした。

それでも2年目に種付けした12頭から、共同通信杯を制したオウケンムーンを輩出しています。

これにより5年目の2017年には1頭となっていた種付け頭数も翌年には16頭と持ち直しますが、
その後に活躍馬が出ていないことから2020年には2頭、2021年には0頭となってしまっています。

となると後継種牡馬として期待したいオウケンムーンですが、共同通信杯を制した後は
一度も勝てておらず、2022年の中山金杯でも14着となっており
種牡馬入りは厳しい状況です。

そのためこのオウケンブルースリからのサイアーラインもほぼ望むことはできません。

そうなると、最後に残るのはトーセンジョーダンです。

トーセンジョーダンは現役時代天皇賞(秋)などを含む重賞を4勝した名馬です。

種牡馬入りをしてからも初年度は102頭と種付けをし、3年連続で100頭を超えるなど上々の立ち上がりを見せました。

しかし産駒が全くと言っていいほど走りませんでした。

現在のところ、中央競馬で重賞を勝利した馬は1頭もおらず、
2021年には馬主である島川氏の持つエスティファームへと移動をしています。

この2021年の種付け頭数は1頭にまで落ち込んでおり、このまま引退へと進んでいくものと思われます。

そのためトーセンジョーダンからも後継種牡馬が現れる気配はなく、
トニービンから続くサイアーラインはもはや絶滅寸前と言えるのです。

ただ、それでも牝系に入ることでかなり活躍の幅は広げています。

母父としてのトニービン

後継種牡馬こそ厳しい状況ですが、母父としてはかなり活躍しています。

特にエアグルーヴの産駒たちは大活躍をしており、
息子のルーラーシップが種牡馬入りし、娘のアドマイヤグルーヴからはドゥラメンテが誕生しています。

他にもハーツクライ、トランセンド、アドマイヤベガ、アーネストリーといった馬の母父として
トニービンは入っており、その能力を伝えています。

特にハーツクライやルーラーシップはその血を更に広げていることから、
牝系の中にはトニービンの血は入り続けていくことでしょう。

こうして見ていくと、かつては御三家の一角を担っていたトニービンは
そのサイアーラインを伸ばすことはできませんでした。

しかしそれでも牝系の中に入って、日本競馬を支え続けてくれています。

偉大な種牡馬であったことは疑いようがなく、サンデーサイレンス、ブライアンズタイムとともに
日本競馬の歴史を作り上げた名馬の1頭です。

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最後までご視聴頂きありがとうございました。
またあなたとお会いできることを楽しみにしていますね。
 

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