
現役時代に大活躍をして種牡馬入りをしたものの、
残念ながら10歳になる前までに亡くなってしまった馬たちがいます。
もし彼らが長生きをしていれば、今の競馬界はまた違っていたものになっていたかもしれません。
今回はそんな若くして亡くなってしまった種牡馬たちについてご紹介していきたいと思います。
エアシャカール
エアシャカールは1997年2月26日に
父サンデーサイレンス、母アイドリームアドリームという血統で生まれました。
日本ダービーこそ7cm差の2着に敗れましたが、皐月賞と菊花賞を勝利した準三冠馬と呼んでも良い存在です。
日本ダービー後の夏にはキングジョージに挑戦したことでも話題を集めました。
そんなエアシャカールは5歳となった2002年の有馬記念を最後に引退し、2003年シーズンから種牡馬入りをしました。
姉に牝馬クラシックですべて3着以内に入ったエアデジャヴーがおり、
父もサンデーサイレンスということから大いに期待されていました。
しかし引退してからわずか3ヶ月後の2003年3月13日、放牧中に事故が起こります。
それによりエアシャカールは左後脚を骨折し、安楽死処分となってしまいました。
わずか6歳の短い馬生となりました。
この時までにエアシャカールが種付けをした数は11頭で、
そこから4頭の子が生まれましたが、いずれも牝馬でした。
またその子どもたちの中でJRAでの勝利をあげた馬はエアファーギーのみで、
そのエアファーギーも1勝のみで引退してしまいます。
それでも4頭のうち2頭が繁殖へとあがったため、エアシャカールの血は牝系の中でわずかながらも残ると考えられていました。
しかし、2頭のうちの1頭であるマジブランシェからはなぜか牡馬しか生まれず、その血は途絶えてしまっています。
また、もう1頭のエアファーギーからは2頭の牝馬が生まれたものの1頭は繁殖登録を現時点でしておらず
残る1頭は韓国のチェジュ島で繁殖入りをする予定だったものの、引退から2ヶ月後に亡くなってしまいました。
つまり、現時点においてエアシャカールの血は完全に途絶えてしまったこととなります。
非常に残念ですが、これも競馬なのかもしれませんね。
Expand Allエルコンドルパサー
エルコンドルパサーは1995年3月17日に
父キングマンボ、母サドラーズギャルという血統で生まれました。
デビューから5連勝でNHKマイルカップを勝利すると、翌年の1999年にはフランスへの長期遠征をし
凱旋門賞ではモンジューの2着となりました。
この活躍から1999年には日本で走っていないにも関わらず年度代表馬に選出され、大きな話題となりました。
エルコンドルパサーはこの凱旋門賞を最後に引退をし、翌年から種牡馬入りを果たします。
血統面やその実力から大きな期待を集めていたエルコンドルパサーは初年度から137頭の繁殖牝馬を集めます。
その後も157頭、154頭と種付けをしますが、3年目の種付けを終えた2002年7月16日、
エルコンドルパサーは腸捻転により死亡してしまいます。
わずか3年の種牡馬生活、7歳でのことでした。
残された産駒は血統登録をされた数で339頭にのぼり、その中からはヴァーミリアン、ソングオブウインド、アロンダイトという3頭のG1馬を出しました。
さらにJRAにおける最後の現役産駒となったトウカイトリックは、G1勝利こそありませんでしたが11年に渡って競走馬生活を送りました。
その結果、平地競走最高齢勝利記録である10歳でのステイヤーズステークス勝利や、
同一重賞最多出走記録である阪神大賞典8回出走という偉業を成し遂げています。
こうした産駒の活躍を見ると、もしエルコンドルパサーが種牡馬を長く続けられていれば
今の競馬界の中でもエルコンドルパサー系の馬が多く活躍していたのかもしれませんね。
現状はわずかに産駒のサクラオリオンやヴァーミリアンの子であるノブワイルドが種牡馬として活動していますが
今のままではサイアーラインをつなげていくのは難しそうです。
それでも母父としてはマリアライトやクリソベリルなどを輩出しており、その血は牝系で残っていきそうです。
ナリタブライアン
ナリタブライアンは1991年5月3日に
父ブライアンズタイム、母パシフィカスという血統で生まれました。
言わずとしれた三冠馬で、現役時代は白いシャドーロール姿で愛されました。
そんなナリタブライアンは6歳(現在の5歳)の高松宮杯を走った後に屈腱炎を発症し現役を引退します。
そして翌年の1997年から生まれ故郷である新冠町で種牡馬入りをすると、初年度に81頭、2年目に106頭の繁殖牝馬を集めました。
この時の繁殖牝馬の中にはビワハイジの母であるアグサンや、牝馬クラシックを制したファイトガリバーなど多くの有名馬が集まりました。
そうして順調に種牡馬生活を過ごしていたナリタブライアンでしたが、1998年9月27日、胃の破裂によって安楽死の措置がとられました。
この時まだ8歳(現在の7歳)という若さでした。
残された産駒は2世代合計で151頭いましたが、1頭も重賞を勝つ馬を輩出することはできず後継種牡馬も残すことはできませんでした。
ただ、牝馬は繁殖入りした馬が多くおり孫となるオールアズワンが札幌2歳ステークスを勝利しています。
またオーストラリアではペリニヨンという馬がG2を制しており、母父として活躍馬を何頭か輩出しています。
アドマイヤベガ
アドマイヤベガは1996年3月12日に
父サンデーサイレンス、母ベガという血統で生まれました。
牝馬2冠を制した母の初仔ということで注目を集めたアドマイヤベガでしたが、
その期待に見事応え、日本ダービーを制します。
菊花賞の後に長期休養の末に故障を発生すると、2000年に現役を引退します。
そして2001年から種牡馬入りをすると、良血ということもあり初年度から145頭の繁殖牝馬を集めます。
さらにそこからも183頭、161頭、176頭と順調に種付けを行い、初年度産駒からも活躍馬が出てきます。
しかし2004年10月に疝痛を発症し、最終的には胃の破裂により亡くなってしまいました。
ナリタブライアンと同じ死因による早逝となりました。
これにより遺された産駒は4世代にとどまりましたが、2年目の産駒であるキストゥヘヴンが桜花賞を制し、
その後もテイエムドラゴンが中山大障害を、ブルーメンブラットがマイルチャンピオンシップを
さらにメルシーモンサンが中山グランドジャンプを勝利します。
また母父としてもニホンピロアワーズなどが生まれており、その血は牝系の中に入り広がりを見せています。
ドゥラメンテ
ドゥラメンテは2012年3月22日に
父キングカメハメハ、母アドマイヤグルーヴという血統で生まれました。
現役時代は皐月賞と日本ダービーの二冠を制しており、生涯成績9戦5勝2着4回というほぼ完璧な成績を残します。
4歳の6月に故障により引退すると2017年から種牡馬入りをします。
すると初年度から国内年間種付け頭数の最高記録となる284頭と交配し、その人気ぶりを示します。
その後も294頭、184頭、178頭、131頭と多くの繁殖牝馬を集めました。
しかし2021年8月に急性大腸炎のために亡くなってしまいます。
9歳という若さでなくなってしまったドゥラメンテですが、遺された産駒からは多くの活躍馬が出ています。
初年度産駒からは菊花賞、天皇賞(春)、宝塚記念を制したタイトルホルダーが走り、
2年目の産駒からは牝馬2冠を達成したスターズオンアースを輩出しています。
残る3世代からも多くの活躍馬が出てくることが期待されており、
短い種牡馬生活ながらもその血は大きく広がっていくことが予想されます。
早逝が悔やまれる名馬たち
今回ご紹介した馬はいずれも日本の競馬を支えた名馬であることは間違いなく、種牡馬としての活躍も大いに期待されていました。
このように早くに亡くなってしまった名馬たちを見ると、悲しい気持ちになってきますね。
まだ10歳にもならない年齢で亡くなっているため、種付け頭数が多いことが直接的な原因とはならないとは思いますが
できるならば末永く種牡馬としての活躍を見たかった馬たちでもあります。
特にエルコンドルパサーやアドマイヤベガ、そしてドゥラメンテは遺された産駒の活躍を見るに、
もし長生きしていたなら日本の競馬界に大きく貢献していたものと思われます。
そのような未来が失われてしまったのは残念でなりませんが、
そうした「もし」を語ることができるのも競馬の魅力の1つなのかもしれませんね。