
2022年10月17日、森中蕃氏が悪性リンパ腫のためなくなりました。
87歳でした。
彼は競馬において「シゲル」という冠名で多くの馬を持っていました。
シゲルキョクチョウやシゲルバクハツなど個性的な名前をつける方としても有名でした。
競馬ファンからすれば謎の多いオーナーでしたが、一体どのような方だったのでしょうか。
今回はそんな森中蕃氏の競馬への関わりについて見ていこうと思います。
最初はシゲルじゃなかった
森中蕃氏は、光証券という会社に1952年に入社すると、
1982年に代表取締役社長になります。
2002年には大阪証券取引所の取締役にもなっており、
関西の証券業界で存在感を示していました。
その傍ら、馬主業もしており現在確認できる最初の所有馬は1969年生まれのダイヤパークです。
この馬が1971年に出走していますから、少なくとも37歳の時点では馬主として活動されていたようです。
当時はシゲルという冠名を使っておらず、コイノボリ、フラン、マルクといった単語の馬名をつけていたようです。
フランやマルクなどは通貨の単位のため、証券会社の方らしい名付けと言えます。
初めてシゲルという名前をつけたのは、1973年生まれの産駒達にでした。
この年はシゲル、シゲルハナ、シゲルランと3頭にシゲルとつけたのです。
その中でも特に自らの名前をそのままつけたシゲルが最も期待されていたと思われますが、残念ながら5歳以上300万下を勝つに留まっています。
そしてここから、森中氏はシゲルという冠名をつけていくようになります。
さらに1995年産からは、所有馬の世代の区別をつけるために毎年テーマを決めて馬名をつけていきました。
例えば1995年産は「シゲルマジックボス」「シゲルマジックメイ」など「マジック」を馬名に入れ、
2008年産や2018年産は「シゲルヒラシャイン」や「シゲルソウダンヤク」など役職をテーマにするなど
その年ごとに独特なテーマを決めていきました。
単にテーマを決めるだけでなく、個性的な馬名にすることで多くの競馬ファンからも注目を集めるようになっていったのです。
ちなみにこうした各年のテーマは前年の夏頃までに決めているそうなのです。
また、シゲル軍団の特徴は良血があまりいないことが挙げられます。
森中氏は「安くて走る馬を見つける」ことをモットーとしており、安い価格の馬を多く購入して
その中で走る馬が何頭か出てくることを期待するというスタイルの馬主でした。
特に日高地方の中小牧場から馬を購入することが多く、おそらくそうした牧場を支えたいという想いが強い方だったのだと考えられます。
ちなみに馬を選ぶポイントについては「一番大切にしているのは歩様。前脚が来た後に、後ろ脚がグッと踏み込んでこないといけない」と以前に語っています。
そうした相馬眼により見いだされた活躍馬は多数おり、
例えば現在オープンで活躍しているシゲルタイタンは北海道サマーセールで583万円で落札された馬で、獲得賞金はすでに1億円を超えています。
他にもシゲルバクハツは北海道オータムセールでわずか99万円という価格で落札されましたが、
現在2勝クラスで連続して2着となっておりすでに4500万円以上を稼いでいます。
こうした安くて走る馬を見つけてくるのが、馬主としての醍醐味だったのでしょうね。
そんなシゲル軍団にはこれまで何頭かの活躍馬や、種牡馬となった馬たちがいます。
Expand Allシゲル軍団で活躍した馬
シゲル軍団で最初に重賞を制したのは、1990年生まれのシゲルホームランです。
セイユウ記念やアラブ大賞典を勝利し、1993年にはJRA賞最優秀アラブに選出されています。
引退後シゲルホームランは種牡馬となり、初年度に26頭、2年時に8頭と種付けをしますがその後種牡馬を引退し乗馬となります。
意外なところでは2012年公開の映画「のぼうの城」に、ライブリマウントらとともに出演をした経験もあります。
2020年に30歳で亡くなりましたが、大往生の馬生でした。
また1993年にはシゲルデッドクロスが阪神障害ステークス・春を制しており、
アラブと障害ではありますが、1年に複数の馬が重賞を制する活躍を見せました。
ただ、次に重賞を制すのは、そこからかなり進んだ2012年の新潟ジャンプステークスにおけるシゲルジュウヤクまで待つ必要がありました。
諦めず馬主を続けてきたからこその栄冠だったのです。
そして、サラブレッドの平地競走における初重賞制覇は2015年の北海道スプリントカップを制したシゲルカガでした。
このシゲルカガも引退後は種牡馬となっており、2019年20頭、2020年18頭、2021年5頭と厳しい状況ではありますが
少ない産駒の中から活躍馬が出てくるをことを期待したいところです。
ちなみに現在競走馬としてデビューしている馬は全て森中氏が所有する馬で、シゲルカガに期待を寄せていたことが分かります。
また、JRAの平地重賞でいくと勝利したのは2021年のシゲルピンクルビーのみとなっています。
約50年の馬主生活としては重賞勝利数が少ないように思えますが、
それでも他にも桜花賞2着、秋華賞3着のシゲルピンクダイヤなどもおり、競馬界を大いに盛り上げてくれた方であることは間違いありません。
そんなシゲル軍団は、中央競馬だけでなく地方競馬でも存在感を示しています。
佐賀競馬に大量の馬を走らせていた
シゲル軍団は、佐賀競馬に多くの馬を在籍させています。
元々地方デビューの馬もいれば、中央競馬から佐賀競馬に移籍するパターンもあり、
2022年10月終了時点で32頭が在籍しています。
なぜ佐賀競馬なのかは不明ですが、2014年1月5日の競馬では出走馬8頭のうち、5頭がシゲル軍団の馬で
結果としても1着から3着まで独占するなどをしています。
また、馬主としても大きな存在感を持っており、過去には阪神馬主協会の会長を務め、
2022年時点では日本馬主協会連合の相談役を務めていました。
まさに日本の競馬界を支えてきた方だと言うことができそうです。