
福永祐一騎手が、調教師試験に合格をしました。
これにより2023年の2月で騎手を引退して調教師へと転身することとなりました。
ではなぜ福永騎手はこのタイミングで騎手を辞める決断をしたのでしょうか。
今回はそうした福永祐一騎手の調教師への転向について見ていきたいと思います。
調教師試験に合格した福永祐一騎手
福永祐一騎手の調教師への転身については以前から囁かれてはいました。
そうした中で、今年調教師試験を受けて一次試験に合格したのではとの噂が流れたのは10月のことでした。
そのきっかけは、元JRAジョッキーの藤田伸二騎手によるTwitterでの投稿です。
"福永祐一くん。
調教師の一時試験合格らしいね〜。
たくさん勉強したんだろうな!"
このような投稿がされたのです。
他にも別のユーザーから同様の投稿があったこともあり、
福永祐一騎手が調教師試験を受けて、一次試験を合格したという噂が流れるようになりました。
JRAは一次試験の合格者名について公表をしていません。
ただ二次試験も合格すれば、12月8日に試験合格者の名前が出ます。
そしてここに福永祐一騎手の名前があったことで、調教師試験に合格したことが判明したのです。
これにより福永祐一騎手は2023年2月末を持って、ジョッキーを引退して3月から調教師となります。
では、なぜ福永騎手は調教師へと転向しようと考えているのでしょうか。
考えられる理由について整理してみましょう。
Expand All福永祐一騎手が調教師へ転身する理由
まず大きな理由の1つは年齢でしょう。
福永祐一騎手は1976年生まれで12月9日に46歳となります。
調教師の定年は70歳を過ぎて迎えた直近の2月末までですので、
もし合格していたら24年間調教師をすることができます。
逆に言えば、50歳を超えても騎手をするとなると調教師を務めることができる期間は20年もなくなります。
例えば今年開業をした蛯名正義調教師は既に53歳で、残り17年と考えると
最初に預かった馬の孫の世代を管理して定年を迎えることになります。
福永祐一騎手は、2022年のリーディングでも6位に位置しており、まだまだ騎手としても活躍することはできますが、
そうした次のステージでの時間を考えると46歳という年齢は決して早くはありません。
年齢面を考えれば調教師になるならばこの辺りが適切と判断したのでしょう。
しかし、騎手の中には岡部幸雄騎手や武豊騎手など身体の限界が来るまで騎手を続ける人物もいます。
そうした中でなぜ福永騎手は最後まで騎手を続けずに調教師へと転身することを決断したのでしょうか。
その理由の1つは父の福永洋一氏のことが大きいと見られています。
福永洋一氏は、1968年にデビューをすると3年目にリーディングジョッキーとなり、1977年には年間最多記録を19年ぶりに塗り替えるなど
競馬界を代表する騎手として活躍していました。
しかし1979年に事故が起こります。
毎日杯でマリージョーイという馬に騎乗していた福永洋一騎手は、前の斉藤騎手の落馬に巻き込まれ自身も落馬してしまいます。
この時に福永洋一騎手は後頭部を打ち、舌の3分の2を噛み切る重傷を負いました。
そしてこのことが原因で2年後に騎手を引退することとなったのです。
そのような騎手の危険性を分かっている中でジョッキーとなった福永祐一騎手は、新人の頃から53勝をあげ、2005年にはシーザリオとともに日本馬初となるアメリカのG1を勝利します。
さらに多くのG1勝利を重ね、2018年に日本ダービーを勝利。
2020年にはコントレイルで牡馬三冠をともに達成しました。
2022年もカフェファラオでフェブラリーステークスと南部杯、ジオグリフで皐月賞を勝利しています。
そのためまだまだ騎手としてやっていけるのですが、父のようにいつ落馬事故によって予期せぬ形での引退となるのかは分かりません。
親子続けてそのようなことになれば、家族達の悲しみは計りしれません。
実際、福永祐一騎手は過去に落馬で大きなケガをしています。
それは1999年のことでした。
プリモディーネに騎乗して桜花賞に優勝し、初のG1制覇を成し遂げた翌週のことです。
中京競馬場で施行された小倉大賞典の本馬場入場の際に落馬事故が発生しました。
これにより福永祐一騎手は左の腎臓を摘出することとなりました。
さらに2015年にはリーディングの首位を走っていた10月、レース中に落馬をし右胸骨骨折、右肩の靭帯断裂、左鎖骨剥離骨折、右肩鎖骨脱臼という大ケガを負ってしまったのです。
このような大きなケガを繰り返した福永騎手ですから、身体が衰えて事故を起こしてしまわない内に引退をしようと考えても不思議ではありません。
父の状況を見て、自分の決めたタイミングで引退をするということは以前から考えていたはずです。
また、調教師になるということを決断した理由は2018年に念願の日本ダービーを制し、2020年に牡馬三冠馬に騎乗したことにもありそうです。
2018年にワグネリアンでダービーを勝った時、矢作芳人調教師は福永騎手に引退を勧めたそうです。
「(ダービー制覇は)福永家の悲願だったからね。
(父の)洋一さんのことがあるから。これでやめられるなって。
俺の世代は洋一さんのこと知ってるから。大けがする前にやめろって言いましたよ」
日刊スポーツの取材にこのように矢作調教師は語っています。
そしてその時は固辞したものの、その後に矢作調教師が管理するコントレイルで三冠を制したことから、
ここで一区切りをつけようと考えたとしても不思議ではありません。
いずれにせよ、福永騎手はおそらく来年の2月末で引退をし調教師へと転身することになりそうです。
ファンとしては名手の手腕を目に焼き付けておきたいところですね。
このような福永祐一騎手の調教師転身の噂には、ファンからも多くの声が寄せられましたのでご紹介します。
どこの厩舎を引き継ぐことになる?
騎手免許と調教師免許は両方取得しておくことができませんから、調教師免許を得た時点で騎手は辞める必要があります。
また、新規に開業をする際にはスタートから馬を確保するために同じ年に定年となる厩舎の馬を引き継ぐことが多くなります。
例えば今年開業の蛯名調教師も、藤沢和雄調教師の馬の多くの引き継いでいます。
そうなると福永騎手はどこの馬を引き継ぐことになるのかという話になりますが、一般的に1年間は技術調教師として開業の準備をするので、2024年2月に定年を迎える厩舎が有力だと考えられます。
2024年2月に定年を迎える厩舎で目立つのは安田隆行厩舎ですが、ここは息子の安田翔伍調教師がすでにいることから引く継ぐのは難しそうです。
そうなるとあまり重賞を勝ってきたような厩舎はいませんので、もしかすると2025年2月に定年となる音無調教師の引退まで末可能性も考えられます。
音無厩舎はインディチャンプやピクシーナイトといった厩舎の有力馬を福永祐一騎手に依頼していました。
そうした関係から、厩舎の管理馬やスタッフを引き継ぐことは可能性として十分考えられそうです。
いずれにせよ、福永調教師の活躍に期待したいところですね。