木村和士ジョッキーがカナダで2年連続リーディングに!日本に短期免許で来る可能性は?

木村和士騎手がカナダで2年連続のリーディングジョッキーに

現在カナダを本拠地に活動している木村和士ジョッキーが、2年連続のリーディングジョッキーを確定させました。

海外でデビューし、まだ23歳という年齢にも関わらずここまでの活躍をするとは驚きです。

ではなぜ木村和士ジョッキーは海外でデビューすることとなり、ここまでの活躍ができたのでしょうか。
そして将来的に日本で騎乗をすることはあるのでしょうか。

今回はそんな木村和士ジョッキーについて見ていこうと思います。

JRAの騎手課程を自主退学した木村和士

木村和士さんは1999年9月6日に、北海道で生まれました。

父は北海道浦河町で育成牧場を経営しており、兄とともに小さいころから馬に乗っていたそうです。

ちなみに兄の木村拓巳さんは第一回ジョッキーベイビーズの優勝者で、後にJRA競馬学校へと入学しています。

そして弟である木村和士さんも2年後の2015年に第34期生としてJRA競馬学校へ入学します。

同期には西村淳也騎手服部寿希騎手山田敬士騎手がいます。

入学した際には「小さい頃から騎手に憧れて目指した。3年間努力して、トップジョッキーになって三冠を獲りたい」と語り、
憧れの騎手としてミルコ・デムーロ騎手をあげていました。

競馬学校では、同期の山田敬士騎手が「同期の中では一番うまかったです。騎乗時の姿勢、追っている姿とかも良かったですね」と言い、
教官だった蓑田氏も「34期生の中では技術面がずば抜けていた」と後に語るほどの素質を見せていました。

しかしもう少しで卒業という2017年秋に、木村和士さんは自主退学をします。

その理由については様々な憶測が流れていますが、本人は2020年のインタビューで
「自分が未熟だったということだけですね…。いろんなルールがあった中で、それができなかったということです」と語っています。

このことから、何かしらのルールを破ってしまったことが理由なのだと考えられます。

中央競馬では基本的に、JRA競馬学校を卒業しなければ騎手になることができません。

卒業しなくとも直接騎手免許試験を受けて合格する道もありますが、過去に騎手経験がない中で合格した人はいません。

地方競馬や海外で実績を積んだ人物しか、JRA競馬学校を卒業せずに中央競馬で騎手になることはほぼ不可能なのです。

また、地方競馬でも騎手になるには地方競馬教養センターに入学し卒業する必要があります。

そうなると、木村和士さんはJRA競馬学校を退学した時点で、日本で騎手になるという選択肢がほぼ消えてしまったことになります。

そうした中で木村和士さんが選んだ道はカナダでジョッキーになることでした。

退学後にカナダへ渡り下見をした木村和士さんは、一度帰国をした後に就労ビザを取得し再びカナダへと向かいました。

そしてカナダのウッドバイン競馬場で調教の手伝いをしながら勉強し、
学科試験と実技試験を受けて2018年春にカナダの騎手免許を取得することができました。

2018年5月28日にウッドバイン競馬場でデビューをすると、13戦目で初勝利をあげます。

さらに木村和士ジョッキーはその後、次々と勝利を積み重ねます。

最終的にこの年は104勝をあげ、最優秀見習い騎手賞を獲得しました。

木村和士ジョッキーの快進撃はここから更に続いてきます。

2年目となる2019年にはカナダリーディングで3位となる148勝をあげ、2年連続で最優秀見習い騎手賞を受賞します。

さらに、この年はアメリカでも最優秀見習い騎手賞を獲得しました。

また、日本人で初めてエリザベス2世が所有する馬に騎乗する機会に恵まれ、着実にステップアップを果たします。

そして3年目となる2020年にはG1サマーステークスで初G1制覇を成し遂げます。

他にもカナダでサウジアラビア王族の所有馬に騎乗して勝利した実績を見込まれ、
2021年の冬シーズンには3月までサウジアラビアに滞在しレースに騎乗するなど人脈にも恵まれます。

この2021年シーズンは、2位に54勝もの差をつけて日本人初となるカナダでのリーディングジョッキーとなります。

そして2022年も30勝近い差をつけて2年連続でのリーディングジョッキーとなったのです。

JRA競馬学校を自主退学し異国の地でジョッキーになり、こうして2年連続のリーディングジョッキーに輝くというのはまさに快挙としか言いようがありません。

JRA競馬学校へ入学ができなかった人や、残念ながら退学となってしまった他の人達にも希望を与える結果と言えそうです。

このような活躍を見せている木村和士ジョッキーですから、
今後日本へと短期免許もしくは通年免許取得のためにやってくるのではないかとも考えたくなりますが、実際のところはどうなのでしょうか。

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短期免許で来ることは難しい?

まず木村和士ジョッキーの希望ですが、2020年に次のように語っています。
「通年免許の取得は今のところ考えていません。でも確かな功績を残して短期免許で呼ばれるようなジョッキーになりたいという気持ちはあります」

つまり、短期免許であれば日本でも騎乗をしたいと考えているようです。

では、短期免許で日本へやってくることは可能なのでしょうか。

実は海外でジョッキーをしている人物が日本で短期免許でやってくるのには非常に高いハードルがあります。

まず同時期に5人までという上限がありますし、
世界的に活躍しているジョッキーでなければ来ることができません。

北米エリアにおいてはリーディング5位以内の騎手という条件があるのですが、
この北米エリアというのが全体を指すのか、カナダ単体で良いのかは不明です。

今年北米では24位なので、もし北米全体で捉えるのであれば条件をクリアはしていません。

それでも2016年にはカナダで当時リーディングジョッキーだったルイス・コントレラス騎手が短期免許を取得していたことから
恐らくカナダで5位以内に入っていれば短期免許の条件はクリアできるものと考えられます。

ただ、このルイス・コントレラス騎手は来日して約1ヶ月後に禁止薬物を使用していたことが発覚し、JRAから5年間短期免許を与えないという裁定が下っています。

そうしたことから、カナダを本拠地とする騎手の審査が厳しくなっている可能性もあります。

また、競馬学校を自主退学したという経緯から、身元引受人となる馬主や調教師が現れるかは不明です。

このようなことを考えると、すぐにでも短期免許でやってくるとはならないかもしれません。

地方競馬であれば、見習い騎手卒業かつ通算250勝以上した者という条件さえクリアすれば条件は満たしているため、短期免許は交付されるはずです。

そのためまずは地方競馬で日本競馬にフィットする姿を見せてから、中央競馬での短期免許を狙うというのも良いかもしれませんね。

いずれにせよ、まだ20代前半ながら世界で活躍する木村和士ジョッキーの騎乗を日本でも見てみたいものですね。

ちなみにカナダにはもうひとり、日本人の福元大輔ジョッキーが在籍しています。

こちらはJRA競馬学校に2年連続で挑戦するも入学することができず、カナダへ渡ってジョッキーとなった苦労人です。

彼も2017年に19歳で騎手免許を取得すると4年目となる2020年にカナダのダービーにあたるレースを勝利し、2022年には米国の重賞を勝利する活躍を見せています。

メディアの取材に「いずれは短期免許などを取得して日本で乗りたい。それまで技術を磨きます」と答えていることから
木村ジョッキーとともに日本で騎乗することを期待したいと思います。

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