
オジュウチョウサンが引退後に種牡馬となることが発表されました。
障害レースの歴史を塗り替えた馬ですから、その期待は以前からあったものの
こうして決定したということは嬉しいものです。
しかし不安に思うこともあります。
それは障害馬であるオジュウチョウサンは種牡馬として活躍ができるのかということです。
そこで今回は過去に障害馬で種牡馬入りをした馬たちのケースを見ていき、
オジュウチョウサンが果たして成功できそうなのかを考えたいと思います。
過去に種牡馬入りをした障害馬たち

障害競走で好成績をあげ、種牡馬入りを果たした馬はオジュウチョウサンが初めてではありません。
過去にも何頭かが種牡馬入りをしてきました。
その一頭がグランドマーチスです。
グランドマーチスは1969年に生まれた馬で、父ネヴァービート、母ミスギンオーという血統です。
平地競走で20戦3勝という成績を残していましたが、
1973年に所属する伊藤修司厩舎へ新人騎手の寺井千万基騎手が入ったことで状況が変わります。
寺井騎手は障害競走限定の免許しか持っていなかったものの、厩舎には障害馬がいませんでした。
そのため、寺井騎手のためにグランドマーチスが障害入りをすることとなったのです。
そして1973年3月にグランドマーチスとともに寺井騎手は障害競走デビューを迎え、2戦目に初勝利を果たします。
その後は寺井騎手とともに障害競走で勝利を重ね、中山大障害4連覇、京都大障害3連覇を成し遂げます。
この活躍によりグランドマーチスは中央競馬初の獲得賞金3億円超えを達成します。
そして最終的に平地24戦4勝、障害39戦19勝という成績を残して引退しました。
この功績が認められ、現在障害馬で唯一のJRA顕彰馬に選出されています。
そんなグランドマーチスは、引退後に日本中央競馬会に購入され
岩手県遠野市で乗馬用の種牡馬として生活することとなりました。
ただ、乗馬用以外にも競走馬用としての種牡馬としても活動しており、毎年5頭から10頭ほどに種付けをしていました。
調べたところ、最も賞金を稼いだのは1978年に生まれたキノードラゴンという馬で、
岩手競馬において37戦7勝という成績を残しています。
中央競馬ではバトルマインとバトルデュマレストの2頭が出走しており、バトルマインは障害競走にも出走していましたが
残念ながら勝利を上げることはできませんでした。
つまり、グランドマーチスは種牡馬として中央競馬で勝ち馬を出すことができないという結果になりました。
JRA顕彰馬となったほどの馬でも種牡馬としては厳しかったようです。
続いての種牡馬入りした障害馬はバローネターフです。

バローネターフは1972年に生まれた馬で、父バウンティアス、母キクホマレという血統です。
グランドマーチスの3歳年下となります。
平地競走で10戦して未勝利で障害入りをするといきなり勝利し、翌年の1975年には中山大障害でグランドマーチスの2着となります。
そして1977年に本格化すると、そこから1979年までに中山大障害で5勝2着1回という成績を残します。
その後に脚を痛めて引退をすることとなりましたが、その功績から社台スタリオンステーションで種牡馬入りをすることとなりました。
当時すでに社台スタリオンステーションは1969年にガーサントがリーディングサイアーを獲得し
1976年にはノーザンテーストが導入されるなど、今ほどではありませんが一流の種牡馬繋養施設の1つでした。
種牡馬入りをした1980年には、サッカーボーイなどを輩出するディクタスも導入されており
バローネターフも障害馬といえどある程度の期待はされていたのではないかと見られます。
ただ、現実は厳しいものがありました。
分かる限りでは1981年に種付け頭数は0頭で、その後も2頭、1頭、1頭とほとんど繁殖牝馬が集まらなかったのです。
そのため後にグランドマーチスと同じく岩手県遠野市へと引き取られ、乗馬用の種牡馬として活動していくこととなりました。
産駒としても中央競馬で走ったのは2頭のみで、いずれも勝利をあげることはできていません。
つまりグランドマーチス、バローネターフのいずれも中央競馬で勝つような馬を出すことはできませんでした。
この結果から、障害馬を種牡馬入りさせようという動きはピタっと止まります。
そしてここから10年以上の時が流れ、再び障害馬ながら種牡馬入りをするケースが現れます。
それがゴーカイです。

ゴーカイは1993年に父ジャッジアンジェルーチ、母ユウミロクという血統で生まれました。
馬名の由来は馬主と調教師が会食をした際に「賞金を稼いだらワーっと豪快にやるか」という会話が出たことからだそうです。
そんなゴーカイは平地競走で3戦目に初勝利をあげたものの、その後は22戦して1勝もあげることができなかったため障害へと転向します。
そして1999年1月に障害転向デビュー戦を迎えると4戦目に勝ち上がり、11月には中山大障害でハナ差の2着となります。
そこからゴーカイは2000年、2001年と中山グランドジャンプを連覇する活躍を見せました。
こうした活躍や、弟のユウフヨウホウが中山大障害を勝ったという血統面などから引退後は種牡馬入りを果たします。
種牡馬としては11シーズンの供用で血統登録頭数75頭、出走頭数はそのうちの64頭とあまり多くありませんでしたが、
そのうちの39頭が地方競馬で勝ち馬となる活躍を見せます。
また、中央競馬においても初年度産駒となるオープンガーデンが阪神スプリングジャンプを勝利する活躍を見せ、
障害馬の息子が障害重賞を勝つという快挙を成し遂げました。
ただ、種付け頭数はそこからもあまり伸びることはなく最高で2007年の22頭に留まり、
後継種牡馬などを残すことはできていません。
こうした過去の障害馬の種牡馬としての状況だけを見ると、オジュウチョウサンが種牡馬として活躍できるかは微妙なところです。
しかし、オジュウチョウサンはこれらの馬とは異なる魅力もあります。
その点がどう出るかに期待したいところですね。
Expand Allオジュウチョウサンの種牡馬としての魅力は?

オジュウチョウサンの種牡馬としての魅力の1つは、障害競走だけでなく平地競走でも良い勝負ができていることです。
障害で実績を残した種牡馬が敬遠されがちな理由の1つは、スピード能力の不足が懸念されるからです。
現在の競馬ではスピードが非常に重要となっており、スピードがあればある程度の距離も持たせることができると考えられています。
そう考えた時に4000m前後の距離で実績を積み重ねた障害馬のスタミナはあまり必要とされません。
また、グランドマーチスやバローネターフ、そしてゴーカイに共通するのは、平地競走でほとんど実績を残せなかったことです。
ここから平地でのスピード能力が不足していると見られてしまいました。
しかしこの点でオジュウチョウサンは異なります。
確かに障害入りをする前のオジュウチョウサンは未勝利で2ケタ着順となっており、スピード不足を予見させる成績となっていました。
それでも2018年に平地競走へとチャレンジすると500万下、1000万下と連勝し有馬記念でもダービー馬のマカヒキに先着する活躍を見せました。
つまり平地でもある程度通用するスピードを見せることに成功したのです。
そのため、これまでの種牡馬となった障害馬と比べ多くの繁殖牝馬が集まってくる可能性が考えられます。
懸念点はステイゴールド産駒の種牡馬が比較的多くいることや、仕上がりの遅さでしょうか。
三冠馬オルフェーヴルや、G1・6勝馬ゴールドシップなど平地競走における歴史的な名馬がまだ現役で活躍をしており、
生産者がそれらの種牡馬でなくわざわざオジュウチョウサンを選ぶにはもう少しインパクトが必要です。
また、オジュウチョウサンが本格化したのが5歳になってからというのも、最近の早期から活躍する馬が好まれる傾向を考えると敬遠される一因となりそうです。
障害競走専門の馬を作ろうとする生産者の方もいるかもしれませんが、現状中央競馬で障害競走はは1日に数レースしか施行されませんし
地方競馬では障害競走は施行されていません。
オジュウチョウサンは話題性だけで言えば高いはずですが、生産者はこれを本業として生活をしているので種牡馬選びはシビアです。
需要の小さい馬をリスク込みで生産するよりは、もっと確実に取引価格の上がる種牡馬を選ぶはずです。
そのため、もしかするとオジュウチョウサンの種付け頭数はあまり多くならない可能性もあります。
それでもこれまで何度も不可能を可能にしてきたオジュウチョウサンですから、
常識にとらわれない産駒を生み出し、種牡馬としても大活躍してくれることを期待したいところですね。