
サラブレッドの寿命は25歳前後だと言われています。
そのため1990年代から2000年代の競馬を彩った馬たちの中からは、次第に亡くなってしまう馬たちが出てきています。
また、それほど年齢を重ねていない馬の中にも不慮の事故や病気などで、残念ながらこの世を去るケースもあります。
今回はそうした2022年に亡くなった名馬たちについてご紹介していきたいと思います。
タイキシャトル

まずは歴史的名馬の1頭であるタイキシャトルです。
タイキシャトルは1994年3月23日にアメリカのTaiki Farmで生まれました。
岡部幸雄騎手、横山典弘騎手とともに、フランスのジャック・ル・マロワ賞を含め
国内外でG1を5勝しました。
1998年には短距離馬として、そして外国産馬として初めて中央競馬での年度代表馬にも選出されました。
引退後にはその活躍から史上25頭目のJRA顕彰馬にも選出されており、まさに歴史に名を残した名馬でした。
種牡馬としてもウインクリューガー、メイショウボーラー、サマーウインドという3頭のG1馬を輩出する活躍を見せました。
中でもメイショウボーラーは、2017年にJBCスプリントを制したニシケンモノノフを輩出してそのサイアーラインをつなげています。
そんな競走馬としても種牡馬としても成功を収めたタイキシャトルは2017年に種牡馬を引退すると、
NPO法人引退馬協会へと譲渡されます。
その後2018年にはメイショウドトウとともに日高町のヴェルサイユファームへと移動し余生を過ごします。
2019年には、放牧中にたてがみを切られるという事件も起きましたが、
それ以外はのんびりと牧場で生活していたようです。
そして2022年8月17日に、老衰によりなくなりました。
その状況について引退馬協会は「午前5時頃、タイキシャトルが馬房で亡くなっていた。
馬房には荒れた様子もなく、寝ている間に安らかに旅立ったものと思われ、獣医師の死亡診断でも老衰による心不全とのこと」との発表をしています。
享年28歳という年齢ですから、天寿を全うしたと言えそうです。
Expand Allゼンノロブロイ

ゼンノロブロイは2000年3月27日に北海道の白老ファームで生まれました。
2004年には史上2頭目となる、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の古馬三冠を制し年度代表馬に輝きました。
またイギリスのインターナショナルではエレクトロキューショニストの惜しい2着になるなど、海外でも強さを発揮しました。
現役引退後は種牡馬となり、重賞勝ち馬を多数輩出しました。
特にサンテミリオンはオークスを優勝し、自身の叶わなかったクラシック制覇を成し遂げました。
そんなゼンノロブロイは2021年からプライベート種牡馬として新冠町の村上欽哉牧場に繋養されますが
2022年8月に腰の様体が悪化し、心臓の活動低下が見られます。
そして2022年9月2日に、まだ22歳という年齢でしたが心不全のため亡くなってしまいました。
後継種牡馬としてはペルーサがいましたが、現在では2020年に種牡馬を引退しており残念ながらサイアーラインはそこでストップしてしまっています。
それでもゼンノロブロイからは多くの活躍牝馬が生まれていますので、今後彼の血が入った馬がチャンピオンクラスになる可能性はありそうです。
ビワハイジ

ビワハイジは1993年3月8日に新冠町の早田牧場新冠支場で生まれました。
1995年に阪神3歳牝馬ステークスを勝利し、JRA最優秀3歳牝馬に選出されています。
また翌年には牝馬として13年ぶりに日本ダービーへ挑戦したことでも大きな話題となりました。
そして繁殖牝馬としても非常に優秀で、ブエナビスタ、ジョワドヴィーヴルといったG1馬の他に
アドマイヤジャパン、アドマイヤオーラ、トーセンレーヴ、サングレアルといった重賞勝ち馬を輩出しました。
このJRAの重賞勝ち馬6頭を産んだということは、繁殖牝馬として史上最高記録で現在も破られていません。
中でもブエナビスタはG1を6勝する歴史的名馬で、多くの人々に感動を与えました。
また、アドマイヤオーラは11歳という若さで亡くなってしまいましたが、産駒のアルクトスが南部杯を連覇し種牡馬入りしました。
ビワハイジの血はサイアーラインでも牝系でもその血を広げていきそうです。
そんなビワハイジは2015年の種付けが不受胎に終わった後、そのまま繁殖牝馬を引退します。
その後はリードホースとして、離乳した当歳から1歳の子馬の群れを見るリーダー的な役割を担っていたそうです。
そして2022年2月25日に、老衰のため亡くなりました。
同世代にはルーラーシップらを輩出したエアグルーヴや、ロサードらを輩出したロゼカラーなどがおり
今は彼女たちの孫やひ孫たちの世代がライバルとして切磋琢磨しています。
アドマイヤドン

アドマイヤドンは1999年5月17日に、北海道安平町のノーザンファームで生まれました。
牝馬二冠馬ベガの子で、半兄に日本ダービーを制したアドマイヤベガ、セントライト記念などを勝ったアドマイヤボスがいるという良血です。
2歳で朝日杯フューチュリティステークスを勝利しクラシックへと進んだ後、
ダートへ転向するとJBCクラシック3連覇を含むG1を7勝する活躍を見せました。
そして現役を引退すると2006年から社台スタリオンステーションで種牡馬入りをしたものの伸び悩み、2011年には韓国へと輸出されます。
韓国では活躍馬を出し、産駒のチョンジストームが後継として種牡馬入りを果たしています。
また、日本に残してきた産駒の中からアルバートが同時期に種牡馬入りをしました。
しかし2022年9月21日に種付けをした際にトモを痛めて後躯麻痺となってしまったことから安楽死の措置がとられました。
23歳でした。
異国の地で名馬の血が、今後も広がっていくことを期待したいですね。
ワグネリアン

ワグネリアンは2015年2月10日に、北海道安平町のノーザンファームで生まれました。
2018年に平成最後となる日本ダービーを優勝した名馬です。
この時の鞍上である福永祐一騎手にとっても初めてとなる日本ダービー制覇でした。
しかしその後は神戸新聞杯を勝利してからなかなか勝つことができず、
2021年11月のジャパンカップまで10連敗を喫してしまいます。
するとジャパンカップ後、肝臓の値が悪く体調不良が続いたため栗東トレーニングセンター内にある競走馬診療所の入院馬房へと入院します。
これにより一時的に症状が回復したものの、年末に再び悪化してしまいます。
そして2022年1月5日、原因不明のまま7歳という若さで亡くなってしまいます。
その後に解剖された結果、死因は鶏の卵ほどの大きさの胆石が胆管に詰まったことにより引き起こされた多臓器不全だったことが判明します。
馬に胆石が発見されることは非常に珍しく、JRAにおいて初めてのケースだったそうです。
そのような非常に珍しい病気が日本ダービーを制した馬に起こるというのは不運以外に何ものでもありません。
こうした日本ダービーを制しながらも引退する前に亡くなってしまった馬は、
1935年のガヴアナー、1940年のイエリユウ、1951年のトキノミノル、1965年のキーストン以来となる、実に57年ぶりのことでした。
非常に残念な出来事でしたが、その走りはいつまでもファンの心の中に残り続けるはずです。
他にも多くの名馬が2022年に亡くなった
2022年に亡くなった馬が名馬だらけ…タイキシャトルやゼンノロブロイなどG1馬たちが今年も多数…
今回ご紹介した馬たち以外にも多くの名馬が2022年に亡くなりました。
G1級のレースを勝利したことがある馬だけで見ても、先程ご紹介した馬たち以外で
コンサートボーイ、サプライズパワー、サダムパテック、タイムパラドックス、テレグノシス、ノボジャック、ピンクカメオ、メジロベイリー、ノーヴァレンダ、ライブリマウント
これらの馬が残念ながらこの世を去りました。
他にも海外ではロックオブジブラルタルやウィジャボードなどといった馬も亡くなっています。
とても悲しいことではありますが、競馬を盛り上げてくれた彼ら、彼女らには感謝しかありませんね。