
かつてイタリアは世界でも有数の競馬国でした。
現在ほとんどの競走馬に血が入っているというネアルコなどの大種牡馬や、
日本にいるミルコ・デムーロ騎手などもイタリア出身です。
しかし最近は財政難もあり、競馬は縮小傾向となってしまっています。
そんなイタリアで、一頭の日本馬が2022年シーズンにリーディングサイアーとなりました。
それもG1を制していない日本馬がです。
一体どうしてこのような偉業を達成することとなったのでしょうか。
そしてこの馬はイタリア競馬を立て直す救世主となるのでしょうか。
今回はそんな日本馬によるリーディングサイアー獲得と、イタリア競馬の凋落について見ていこうと思います。
イタリアで日本馬がリーディングサイアーになる

イタリアでリーディングサイアーとなった馬は、アルバートドックです。
アルバートドックは現役時代に小倉大賞典と七夕賞という2つのG3を勝利しました。
しかしG1では菊花賞12着という成績で、G2でも京都新聞杯での3着が最高でした。
そうしたいわば1.5流とも言える競走成績でしたが、
父がディープインパクトで、母も米国のG1を制した良血でした。
特に父ディープインパクトの血は世界中から求められていたこともあり、
現役引退後にはイタリアからオファーがあり、種牡馬入りを果たすこととなりました。
そうしてアルバートドックは2018年からイタリアで種牡馬シーズンを迎えると、
2019年には21頭と種付けをしています。
これだけ見ると少ないように思えますが、現在イタリアでの生産頭数は約500頭ほどと、
日本の10分の1程度の規模しかありません。
そこから考えると、21頭というのはかなりの人気種牡馬であることがわかります。
こうして生まれたアルバートドックの子は2021年にデビューを迎えます。
するといきなり初年度産駒であるテンペスティが大活躍を見せます。
イタリア最高峰のレースであるG2フェデリコ・テシオ賞を制したのです。
後で解説しますが、イタリア競馬はかなり落ち込んでおり、現在国際G1はありません。
そのためこのG2が最高のグレードとなっています。
そうしたイタリア競馬の最高グレードであるG2を制し、
イタリアダービーでも2着に入ったことからテンペスティは2022年の年度代表馬に選ばれます。
そしてこのテンペスティの活躍により、アルバートドックはわずか2世代しか産駒がいない中で
リーディングサイアーへと輝いたのです。
日本でG1を勝てなかった馬が、イタリアで大成功を収めたことは快挙といえますが、
それにしても気がかりなのが、イタリア競馬の動向です。
かつては世界でも有数の場産地として知られていたイタリアが、年間生産頭数500頭というのは深刻です。
一体何があったのでしょうか。
Expand Allイタリア競馬の凋落

イタリア競馬は1808年にサラブレッドの輸入が始まり、
1880年にイタリアジョッキーズクラブが創設され近代化が始まります。
そして1881年に競馬場が建設されると、1884年に第一回イタリアダービーが開催されました。
第一回日本ダービーが1932年ですからそこから遡ること約50年ほど前のことになります。
そこからイタリア競馬は興隆を極めます。
特に有名なのは、年間10数頭の生産馬の中からリボーやネアルコといった歴史的名馬を生産したフェデリコ・テシオでしょう。
彼は29歳でイタリアに小さな牧場を開設すると、徐々に規模を拡大しヨーロッパ競馬の一時代を築きます。
特に独自の配合理論を持つことで有名で、安価な繁殖牝馬を導入し、世代を重ねて改良するという手法をとっていました。
代表馬であるネアルコは現役時代14戦14勝という成績でパリ大賞典やイタリアダービーなどを制しました。
特に種牡馬となってからが優秀でした。
イギリスでリーディングサイアーを3回獲得し、多くの後継種牡馬を残しました。
そのため現在の競走馬のほとんどはこのネアルコの血を引いていると言われています。
例えば大種牡馬サンデーサイレンスも5代前にネアルコの血が入っています。
また、もう一頭の代表馬であるリボーは現役時代に16戦16勝という成績で、
キングジョージや凱旋門賞などを制しました。
種牡馬としてもネアルコほどではありませんが成功し、現在も子孫が血を残しています。
このように、かつてはフェデリコ・テシオが生産したイタリア馬がヨーロッパを席巻してきました。
また、イタリアで開催されるミラノ大賞典は1889年から開催される非常に格の高いレースで、
歴代の優勝馬にはトニービンやファルヴラヴなどの名馬がいます。
1986年には日本からシリウスシンボリが挑戦しており、世界中から強豪が集まるレースとして知られていました。
そうしたヨーロッパの中心的な役割を担っていたイタリア競馬ですが、2008年頃から危機が訪れます。
もともと慢性的な馬券売上の低迷と、ずさんな会計処理によりイタリア競馬の財政状況は厳しくなっていました。
そのため政府からの補助金なしでは運営できない状況でした。
そこに襲ってきたのが2008年9月のリーマンショックです。
これにより政府は補助金をこれまでのように出すことができなくなり、
イタリア競馬は危機に陥ります。
高額な賞金を出せないためレースレベルも低くなり、
伝統のイタリアダービーは2009年にG1からG2へと降格してしまいます。
さらに2012年には、どうしようもなくなった競馬統括機関が
政府の農業食料林業省へと運営を明け渡します。
そしてこの農業食料林業省は財政改革のため、
なんと賞金を40%もカットすることを発表します。
これに対して生産者、調教師、騎手らは猛反発し大規模なストライキを起こします。
これにより2012年1月から競馬開催は完全に停止してしまいました。
その後なんとか競馬は再開されたものの、今度は農業食料林業省が賞金の支払いを拒否し
さらには生産支援の補助金も打ち切ります。
これにより生産頭数は一気に半減してしまうこととなりました。
こうしたまさに壊滅的な状況を受け、欧州格付け委員会はイタリア競馬界に最後通告を行います。
2014年1月に「滞納している賞金の支払いがされない限り、イタリアのすべてのレースの格付けを剥奪する」と発表したのです。
最終的に海外の関係者への支払いを優先することを条件に、
国際的に最上位の位置づけとなるパート1国を維持することとなりますが、
イタリア競馬の衰退が止まることはありませんでした。
賞金の低さや財政難は相変わらずのため、2019年にはついに唯一のG1として残っていた
リディアテシオ賞もG2へと降格し、イタリア競馬にG1はなくなってしまいました。
こうした状況を受け、2020年にはついにパート1国からパート2国への降格が決まります。
このような厳しい状態のため、馬だけでなく人材も多く流出してしまいます。
イタリア出身で天才と呼ばれるランフランコ・デットーリ騎手はほとんど母国で騎乗をしませんし、
イタリアで数々のビッグレースを制したミルコ・デムーロ騎手は2015年に日本の騎手免許を取得し、日本競馬の所属となっています。
他にもミルコ・デムーロ騎手の弟であるクリスチャン・デムーロ騎手や、キングジョージなどを制したアッゼニ騎手など
多くの名手がイタリアから去っていきました。
また、ポストポンドやアルカセットといった名馬を育てたルカ・クマニー調教師もイタリア出身で、
こうした貴重な人材が続々とイタリア競馬を見放し、新天地で活躍しています。
イタリア競馬を救う存在になれるか

このようなイタリア競馬の中で、希望の光となっているのが
アルバートドックの産駒であるテンペスティです。
これまで6戦4勝、2着1回、3着1回というほぼ完璧な成績を残しています。
特にフェデリコテシオ賞では、ランフランコ・デットーリ騎手が騎乗し勝利しており
世界の一流騎手も認めた実力を見せました。
今後はイタリア競馬のみにとどまらず、フランスやイギリスの大レースへと挑むこととなりそうです。
久しぶりに出たイタリア発の名馬が、ヨーロッパ全体で活躍することで
またイタリア競馬が盛り上がって来ると良いですね。
もしかするとアルバートドックこそが、イタリア競馬の救世主となるのかもしれません。
今後の産駒たちのさらなる活躍に期待したいと思います。