
競馬の歴史では、デビュー前に評価の低かった馬が大活躍するケースがたまにあります。
購入金額の数十倍、数百倍もの金額を稼ぎ出す、まさに宝くじのような馬たちです。
今回はそんな中でも特に、セリに上場し格安で落札されたG1馬をご紹介します。
モーリス

安田記念や天皇賞(秋)などG1を6勝したモーリス。
彼は2011年3月2日に沙流郡の戸川牧場で産まれます。
この戸川牧場はこれまで平安ステークスを勝ったダイシンオレンジや
ジャパンダートダービー4着のブイロッキーなどの馬を生産してきましたがG1勝利のない中小牧場でした。
そうした牧場で産まれたモーリスは、父スクリーヒーロー、母メジロフランシス、母の父カーネギーという血統です。
スクリーンヒーローはこのモーリスの世代が初年度で、
種付け料は出生条件で50万円、受胎条件で30万円という価格でした。
そうした地味な血統であったためか、モーリスは1歳のサマーセールにおいてわずか150万円で落札されます。
そしてさらに翌年のHBAトレーニングセール2歳に上場されることとなります。
150万円で落札した方は恐らく安い価格で若駒を購入し、
育成をすることでトレーニングセールで高く売るという目論見だったのでしょう。
このトレーニングセールで良い動きを見せたモーリスは、税別1000万円でノーザンファームに落札されます。
その後、吉田和美氏が馬主となりデビューをしたモーリスは3歳までで6戦2勝という成績を残します。
しかし4歳になると覚醒し、1000万下クラスから一気に7連勝。
その中には海外G1を含む、G14勝が含まれます。
さらに安田記念、札幌記念は2着に敗れたものの
その後の天皇賞(秋)と香港カップを勝利し、4歳以降は11戦9勝2着2回というほぼ完璧な成績を残して引退をします。
中央・海外での獲得賞金合わせると、10億8368万円を稼ぎ出したのです。
最初に落札された150万円と比較して、実に722倍。
ノーザンファームが落札した1000万円と比較しても100倍を超える金額となりました。
さらに種牡馬入りをすると初年度から種付け料400万円で、265頭に種付けをしています。
それだけで単純計算でも10億円を超え、
さらに2021年には種付け料800万円と倍増しています。
夏から秋にかけてはオーストラリアへ行き、そこでも種付けをしているので
合計すると年間で20億円近くを稼いでいる計算になります。
こうなると、生涯稼ぎ出す金額は100億円を超えることとなりそうです。
150万円で落札された馬がこれほどまでに活躍するとは、一体誰が思ったでしょう。
まさに歴史に残る逆転劇と言えそうです。
そして安い価格の馬からも当たりを引くのところが、さすがノーザンファームといったところでしょうか。
Expand Allテイエムオペラオー

当時世界最高獲得賞金を叩き出した彼も、デビュー前はあまり評価が高くありませんでした。
テイエムオペラオーは、父オペラハウス、母ワンスウエドという血統で
姉にはCBC賞2着のチャンネルフォーがいます。
しかし父のオペラハウスがまだ日本で良績を残していなかったサドラーズウェルズ系の種牡馬だったということもあり、
それほど血統面で評価はされていませんでした。
また、馬体もバランスは良いものの特徴がなく、牧場での評価はあまり高くありませんでした。
しかし後にオーナーとなる竹園正繼氏は、牧場でテイエムオペラオーを見た時に
「光り輝いて見えた」というほど惚れ込み、購入する事を決めたそうです。
しかしオペラハウスは日本軽種馬協会で種牡馬をしており、
産駒の牡馬はセリ市に上場する義務がありました。
そのため庭先取引はできず、竹園氏はセリ市で落札する必要があったのです。
1997年の10月に静内で行われたセリ市に上場したテイエムオペラオーのセリは
1000万円からスタートし、竹園氏が声をあげます。
すると他の誰も競りかけてくることなく、そのまま税別1000万円で落札されることとなりました。
竹園氏にとっては幸運でしたが、それほど周囲の評価が高くなかったことの現れでもありました。
こうして落札された後、竹園氏の冠名である「テイエム」と
父の名から一部をとった「オペラ」。そしてサラブレッドの王になれという思いを込めて「オー」という組み合わせで
「テイエムオペラオー」と名付けられたのです。
そして1998年8月15日に京都競馬場で行われた3歳新馬戦(芝1600m)でデビューしたテイエムオペラオーでしたが、
6馬身差の2着に敗れ、骨折も判明したことで休養に入ります。
初勝利は年が明けた1999年2月6日で、そこから500万下のゆきやなぎ賞、毎日杯と連勝します。
この結果を受けて、テイエムオペラオーはクラシックに挑戦することとなりますが
実はこの時彼はクラシックへの一次登録をしていませんでした。
この登録をしないと、クラシックには出走することすらできません。
ただ、この登録には全部で約40万円がかかるため
クラシックを目指していない馬や、目指せない馬は登録をしない傾向にあります。
テイエムオペラオーが登録されていなかったのも、クラシックに出走するような期待を持たれていなかったからということでしょう。
しかし毎日杯を勝利し、一躍クラシックの注目候補となったことで
陣営は急遽追加登録料200万円を支払い、皐月賞に出走登録をすることとなりました。
そして当時22歳だった和田竜二騎手を背に見事優勝。
皐月賞馬となったのです。
この勝利は、和田騎手にとっても生産の杵臼牧場にとっても初勝利でした。
こうして見事G1勝利を成し遂げたテイエムオペラオーでしたが、快進撃はここからでした。
翌年には8レースに出走し、なんと全勝。
その内訳はG23勝、G15勝で、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の秋古馬三冠も達成しました。
まさに日本競馬の頂点に立った瞬間でした。
その後も天皇賞(春)などに勝利し、G1は7勝。
当時の最高G1勝利数タイとなりました。
そして稼いだ金額はなんと18億3518万円。
この金額は当時の世界最高獲得賞金額で、1000万円と比較し約174倍にもなります。
2004年にはその偉業からJRA顕彰馬にも選定されており、まさに日本競馬の歴史に名を残す名馬となりました。
ヒシミラクル

まさに名前通りのミラクルを起こした馬です。
ヒシミラクルは父サッカーボーイ、母シュンサクヨシコという血統で、
1999年に北海道三石町の大塚牧場で産まれます。
母のシュンサクヨシコは小岩井農場の基礎輸入牝馬20頭のうちの1頭へレンサーフにつながる牝系で、
7代前まで内国産という日本の伝統的な血を受け継いできた馬でした。
そこに「コンスタントに走る産駒を出すわけではないが、ときどきポンと走る仔が出る。
それで選んだんだ」としてサッカーボーイを選び
産まれたのがヒシミラクルでした。
ヒシミラクルは牧場での育成中の評価は高かったものの、見栄えのしづらい芦毛であることから買い手がつきませんでした。
そのため2001年5月14日に開催されたトレーニングセールに上場され、
「ヒシ」の冠名で有名な阿部雅一郎氏が税別650万円で落札しました。
阿部氏はこのセリに、ヒシマサルやヒシアケボノを管理した佐山優調教師を同行させており、
阿部氏が「この馬、どう」と佐山調教師に聞くと「いいんじゃないですか」と返答があったことから、入札に至りました。
そして由来は不明ですが、阿部氏はこの馬にヒシミラクルという名前をつけ、佐山調教師に預けることとなったのです。
落札から約3ヶ月後の8月11日、ヒシミラクルはデビューを迎えますが13頭中7着に敗れます。
そしてその後も着外が続き、翌年の5月に10戦目にしてようやく初勝利をつかみます。
この日はちょうど同世代の馬たちが出走するダービーが開催されており、タニノギムレットが栄冠を掴んでいました。
ダービー馬とは大きな差ができていたヒシミラクルですが、ここから覚醒をしていきます。
その後は条件戦に5回出走してすべて3着以内、500万下と1000万下条件を勝利します。
これにより佐山調教師は菊花賞への出走を目標とし、トライアル競走である神戸新聞杯への出走を決めます。
しかし7番人気の6着に終わり、菊花賞への出走は絶望的に思われました。
それでも佐山調教師はヒシミラクルに感じるところがあったのでしょう。
菊花賞への出走を強行します。
まずクラシック登録をしていなかったため、佐山調教師は馬主にも黙ったまま独断で追加登録料200万円を支払います。
そして強引に出走登録をしますが、ヒシミラクルと同じ獲得賞金の馬が8頭登録しており
その中で出走できる馬は3頭のみでした。
そこで8分の3を決める抽選が行われ、ヒシミラクルは見事当選し出走が叶うこととなります。
菊花賞では、ダービー馬タニノギムレットが屈腱炎ですでに引退をしていたものの
皐月賞馬のノーリーズン、骨折明けのセントライト記念で2着のアドマイヤマックス、ダービー4着のメガスターダムなどが揃っていました。
そうした中で条件戦を勝っただけのヒシミラクルは10番人気となっていました。
しかし奇跡は起こります。
スタート直後、1番人気だったノーリーズンがまさかの落馬で競走を中止。
ヒシミラクルは直線で抜け出し、大外から追い込んできたファストタテヤマをハナ差しのぎ見事優勝します。
佐山調教師にとってこれが初のクラシック制覇となり、まさに執念が実った結果でした。
さらにヒシミラクルの奇跡は続きます。
菊花賞後、3連敗を喫したヒシミラクルでしたが翌年の天皇賞(春)では7番人気で見事優勝。
そして距離が短いと言われていた次走の宝塚記念も6番人気で優勝したのです。
ちなみにこの時の宝塚記念では、前日の土曜日に単勝1.7倍の1番人気になったタイミングがありました。
これはその日の11時頃、ウインズ新橋を訪れたある男性が、
安田記念の的中した単勝馬券130万円分の払い戻しを行い、
それにより得た1222万円を全額宝塚記念のヒシミラクルの単勝につぎ込んだことで起きた現象でした。
目撃者によると「サラリーマン風の中年」だったそうで、そこから彼のことを「ミラクルおじさん」と呼ぶようになりました。
そのミラクルおじさんが得た払い戻し金額は1億9918万6000円となり、まさに奇跡が起きたのです。
自身だけでなく周囲にも奇跡を起こしたヒシミラクルは、まさにミラクルな存在だったと言えるでしょう。
そんなヒシミラクルの総獲得賞金額は5億1,498万円にものぼり、落札された650万円の実に79倍にまでなりました。
デビュー前の評判はあてにならない
どの馬も、安値で取引をされた後、まさに歴史に残る大活躍をしました。
セリだけではなく、牧場との庭先取引で購入された馬の中にも
格安で取引されて活躍した馬もいますが、今回は売買価格が明確に公表されているセリで取引された馬に絞ってご紹介しました。
逆にセリでは5億円を超えるような価格で取引をされる馬もいましたが、
その多くはあまり活躍をしていません。
こうした事例は、いかに人の見る目があてにならないかを物語っていますね。
もし将来セリに参加するようなことがあれば、こうした宝くじのような馬を引き当てたいものですね。
あなたはこうした格安で取引され、その後大活躍した馬たちについてどう思いますか?
ぜひ意見や感想をコメント欄にお寄せください。
最後までご視聴頂きありがとうございました。
またあなたとお会いできることを楽しみにしていますね。