土田真翔騎手がついに初勝利!デビュー2年目でまだ未勝利だった騎手が悲願の1勝目をあげる

今年も3月に新人騎手がデビューし、続々と勝利を挙げ始めています。
そんな中、2022年3月にデビューをして今年の4月16日にようやく初勝利をあげた騎手がいます。
一体どうしてこのようなことになってしまったのでしょうか。
今回はそんな初勝利に1年以上かかった騎手、
そして同じ様に1年以上勝利できなかった騎手の現在について見ていこうと思います。
デビューから1年以上経つも、ずっと勝てなかった
昨年デビューして今年勝利をあげた騎手、それは土田真翔騎手です。
土田騎手は2004年2月17日生まれの19歳で、2022年に美浦の尾形和幸厩舎のもとデビューしました。
そして2022年3月5日の中山1Rに騎乗してから、
2023年4月16日の11Rレースまでで111連敗していました。
同期には今村聖奈騎手らがおり、
成績で見れば現時点でかなり差をつけられてしまっています。
JRAのホームページ上では、彼がデビューする際のインタビューが掲載されています。
そこから一部を抜粋してみましょう。
騎手を目指したきっかけは
「初めて福島競馬場で競馬を見た時に、目の前をものすごいスピードで走っていく馬を全力で追っている騎手の姿に憧れ、
福島競馬場の乗馬スポーツ少年団に入りました。
そこで乗馬をやっていくうちに、だんだん騎手になりたいという気持ちが強くなりました。」と語っており
ご家族は競馬と関係がある家庭ではありませんでした。
また、目標とする騎手には武豊騎手を挙げており
「たくさんの方々から信頼され愛され、競馬では一鞍一鞍を大切に一つでも多くの勝ち星をあげ、
日本だけではなく世界でも活躍できる騎手になりたいです。」
と答えています。
そして今後の抱負では
「デビューしてまずは周囲の方々から信頼されることと、早く競馬の感覚を覚え、
一鞍一鞍を大事にできるよう心掛け騎乗していきたいです。」と回答しており、
誠実な印象を受けます。
このように、インタビューの回答を見る限りでは応援したくなる騎手ですが
何故か勝利することができず、また騎乗機会も少なくなってしまっていました。
確かに技術の面では新人であるがゆえの努力が必要な面があるかもしれません。
ただ、それ以上に良い馬が回ってこないというのが土田騎手にとっては大きいようです。
馬の質をある程度示す、騎乗した馬の人気について見てみましょう。
2022年に土田騎手は84回騎乗しましたが、
1番人気1回、2番人気1回、3番人気1回、5番人気3回、そして6番人気以下が78回となっています。
つまりほとんどの騎乗において6番人気以下の馬となっているのです。
特に9番人気以下が64回と、多くが勝つ可能性の低い馬となっています。
そうした中で2着2回、5着4回という成績のため
人気と比べて悪い成績となっている訳でもありません。
年間で84回という騎乗回数の少なさもそうですが、集まってきた馬も低人気の馬ばかりというのは
美浦トレセンにおける新人騎手への厳しさを現していると言えるかもしれません。
2022年にデビューした10名の新人騎手の中で、美浦所属の騎手は4名います。
しかしその中で一番勝利数が多かったのは、西塚洸二騎手の10勝で
他は佐々木大輔騎手が9勝、水沼元輝騎手が1勝となっています。
栗東では今村聖奈騎手が51勝、角田大河騎手が36勝をあげた状況と比べると
1年目の新人へのサポート体制が大きく異ることが分かります。
栗東では新人騎手に対して、3キロもしくは4キロの減量もあるので「まずは乗せてみよう」という風潮があるそうです。
しかし美浦では「上手に乗れるようになってから乗せよう」という風潮だと言われています。
そのため美浦の新人騎手は騎乗機会自体があまり与えられず、
経験も積めないので騎乗技術も上がらないという
悪循環に陥っているように見えます。
またそうした風潮の中で、土田騎手はデビューした日にアクシデントを起こしてしまいます。
土田騎手はデビューした日に3番人気だったネネに騎乗しました。
そしてレースで5着となった後、減速している途中で土田騎手はネネに振り落とされてしまったのです。
幸い人馬ともに大きなケガはなかったのですが、こうした姿を見て
「まだ良い馬を任せるのは早い」と周囲に思われてしまった可能性があります。
そうした中、4月16日の福島12Rで土田騎手はサノノヒーローに騎乗し、ついに念願の初勝利をあげることができました。
今後彼の飛躍に期待したいですね。
では、土田騎手と同じくデビューした年で勝てなかった騎手は
どのような人がいて、その後どうなったのでしょうか。
デビューした年に勝てなかった騎手のその後
色々と調べた結果、デビューした年に勝利を挙げられなかった騎手は
過去20年で少なくとも2名いました。
その一人が池崎祐介騎手です。

池崎騎手は2007年に美浦の池上昌弘厩舎に所属しデビューしました。
しかし騎乗機会に恵まれず、71戦0勝という成績で1年目を終えます。
そして未勝利のまま翌年には厩舎を離れフリーへと転向しました。
初勝利をあげたのは、デビューしてから97戦目となる約1年2ヶ月後の2008年5月11日のことでした。
この2008年にはもう1勝をあげて2勝とし、さらに翌年の2009年には182回騎乗し3勝と
少しずつではありますが成績を上げていきました。
しかし4年目になり減量がなくなると、一気に騎乗依頼数が減少します。
2010年に30回、にはわずか30回しか騎乗することができず、
池崎騎手は騎乗機会を求めて障害競走にも乗るようになります。
それでもなかなか騎乗依頼はやってこず、2011年に6回、2012年に9回だけしか
騎乗機会はありませんでした。
このような状況から2012年12月31日付けで池崎騎手は引退します。
その後の進路については発表されておらず、調教助手や厩務員などにもなりませんでした。
池崎騎手はとにかく騎乗回数に恵まれなかった印象ですね。
年間6回の騎乗では、そこから挽回するのも厳しいものがありました。
もうひとりの騎手についても見てみましょう。
2人目は、高嶋活士騎手です。

高嶋騎手は1992年12月2日生まれで、
2011年に美浦の柴崎勇厩舎に所属しデビューします。
初騎乗は、4番人気だったオペラフォンテンで4着とますまずのスタートを見せます。
オペラフォンテンは厩舎所属の馬だったことを考えると
ある程度のサポートはしてもらっていたものと考えられます。
しかし最終的に2011年は103回騎乗し、2着4回が最高で勝利をあげることはできませんでした。
そして騎乗機会を確保するため、翌年からは障害競走にも騎乗し8月にはフリーへと転向します。
それでも結局2年目の2012年も未勝利となってしまった高嶋騎手は、
この状況を変えようと懸命に努力をしますがなかなか報われることがありませんでした。
そして2013年2月9日、高嶋騎手にアクシデントが襲います。
障害競走で騎乗していたアバディが、障害をうまく飛び越えることができず落馬してしまったのです。
これにより高嶋騎手は頭部外傷、脳挫傷、右鎖骨骨折という大怪我を負ってしまいます。
それでも約3ヶ月半後の5月12日には、杖をつきながら東京競馬場を訪問し復帰への意欲を示します。
復帰を目指し、高嶋騎手は2014年、2015年の騎手免許を更新し続けますが
回復が難航し調教騎乗すらできない日々が続きました。
そして2015年9月30日に、彼は騎手免許を返上しました。
これにより高嶋騎手は引退することとなったのです。
その後高嶋騎手は馬術へと転向し、日本代表として2020年東京パラリンピックへと出場しました。
土田騎手の飛躍に期待
今回ご紹介した高嶋騎手の他にも未勝利のままで引退した騎手としては
競馬学校1期生の谷口騎手や、17期生の大沢騎手がいます。
土田騎手は騎乗を見る限り決して乗れないという訳ではありません。
関係者の方々には、土田騎手になんとか機会をあげてもらいたいですね。
初勝利もあげたことですし、ここからどんどん勝利を積み重ねてもらいたいと思います。
あなたはこうした土田騎手や、デビューイヤーで勝てなかった騎手についてどう思いますか?
ぜひ意見や感想をコメント欄にお寄せください。
最後までご視聴頂きありがとうございました。
またあなたとお会いできることを楽しみにしていますね。